はつおの紙芝居
施設づくりには時間がかかりますので、退屈でしょうから紙芝居でもご覧ください。私は何年か前から、へたくそな絵と拙い語りではありますが、熊野を舞台にした自作の紙芝居を演じ続けてまいりました。神話や民話、胸を打つ感動の実話などをテーマにいろいろ描きましたが、だんだん題材が無くなってきて、最近は熊野にこだわらず私自身が感動した話などを描くようにしております。「何や熊野と全然関係ないやん」と言われそうですが、どうかお付き合いください。

第4話 「ふるさとの浜 第五福竜丸のエンジン」
今から10年ほど前、これを描きました。とても重いテーマなので描こうかどうか迷いましたが、語り継ぐべき物語だと思い筆をとりました。
今回もう一度資料を読み直して、大幅に加筆したものを発表します。表紙も新たに書き直し題字は書家アーティスト智遊さんにお願いしました。
徳田純宏さんのお書きになられた「熊野からの手紙」、焼津市発行の「第五福龍丸事件」、第五福竜丸平和協会編の「母と子でみる第五福竜丸」、「フィールドワーク 第五福竜丸展示館」を参考資料とさせて頂き描きました。
この紙芝居は、前編と後編に分かれています。前編からご覧ください。
第3話「熊野物語 花の窟から」
これは、熊野古道世界遺産登録の立役者のお一人である三石学先生のご講演を基に描きました。20年近く前になりますが、未熟な私が見の程も知らず地域起こしの活動に挑戦したことがありました。その時真っ先に手を差し伸べて下さったのが三石先生です。それから先生には、郷土愛と情熱、聖地熊野の関する多くの知識を学ばせて頂きました。この場を借りて御礼申し上げたいと思います。
イギリスの有名な歴史哲学者アーノルド・J・トインビーは、「12・13歳までに民族の神話を学ばない民族は必ず滅んでいる」との言葉を残したと言われますが、私はこの言葉に「これは、えらいこっちゃ。」と思い、神話について興味を持つようになりました。神話など作り話だと、言われるかもしれませんが、私たちの先人たちが信じたこの物語やその心は大切にすべきものだと思います。海外の方から我が国の成り立ちを尋ねられた時、胸を張って語れる物語だと思います。
第2話「最後のニホンオオカミ」
さて第1話では、紀州犬のルーツは、狼だとお話しましたが、今度の第2話ではその狼についてお話したいと思います。
これを描くにあたり、多くの文献を読みましたが、特に狼捕獲のくだりは東吉野村発行のパンフレットが素晴らしく、参考にさせて頂きました。そのパンフを余分にお譲り頂き、この拙い紙芝居を披露させて頂く為に、役場を訪問する約束でしたか、あろうことかその前日、車の事故に遭い約束が果たせませんでした。長い間心残りでしたが、この場を借りてお詫びしたいと思います。
第1話 熊野の民話「弥九郎の犬」
この主人公 峰弥九郎は実在の人物です。関ケ原の戦いのころに活躍した人で、地元坂本の岩洞院というお寺に自然石で建てられたりっぱなお墓があります。こちらにお越しの際はお墓まいりにお寄り下さい。
描くにあたり、この話を広められた郷土史家の故芝崎格尚先生の文章を参考にさせて頂きました。文献としましては、三重県発行の「みえ東紀州の民話」からです。弥九郎の顔につきましては、写真があるわけでもありませんので、かなり悩みましたが、地元には峰と言う姓があり、たまたまお世話になった尾鷲在住の峰さんと言う方に冗談半分に「峰さんは峰弥九郎の子孫ですか?」と尋ねた時に、「そうです。坂本の峰の一族です。」との答えを頂き驚きました。
その方は非常にハンサムな方で、後、女性の方で美人の方で同じ姓の方がおられたので、おそらく本人もイケメンだったのではないかとあのような顔にしました。それからマンの毛色は白にしましたが、紀州犬のイメージからです。専門のブリーダーの方にお聞きしたとこによると、以前はいろいろな色があったのを紀州犬は白に統一したそうです。